中学校 浜松市。 É;¾»Ô¤Î¿Íµ¤³Ø¶è¥é¥ó¥­¥ó¥°10¡Ê¾®³Ø¹»¡¦Ãæ³Ø¹»¡Ë

浜松市立引佐南部中学校

中学校 浜松市

静岡県浜松市・市立曳馬中学校いじめ自殺 2012年6月12日午後4時35分ごろ、浜松市中区の10階建てマンションの管理人から、建物南側のコンクリート敷きの駐車場に男性が倒れていると110番があり、病院に運ばれたが死亡が確認された。 死亡したのはこのマンションに住む2年の片岡完太君(13)で、見つかった時は学校の体操着姿だった。 マンションの屋上に片岡君のものと見られる靴跡があったことなどから、転落死したとみられ、遺書はなかったが、飛び降り自殺した可能性もあるとみられた。 曳馬中学校の教頭によると、片岡君は12日は普段通り登校。 3、4時間目には外部からの講師を招いて命の大切さについて考える「命の教育講演会」に参加していた。 6時間目の授業までは出席したが、所属する卓球部の練習は休み、午後3時45分ごろ下校したという。 また同校では5月31日にいじめに関するアンケートを実施したが、片岡君はいじめられた経験もいじめた経験も「ない」と回答していたという。 《悪口、暴力、器物損壊などがあった》 2012年12月19日、浜松市教育委員会が設置した第三者による調査委員会は片岡君が「死亡前の約4カ月間、塾や学校で悪口を言われるなどのいじめを受けていた」と認定する報告書を公表した。 三者委は死亡時の状況から、片岡君は自殺したと判断した上で「背景にいじめがあったと言わざるを得ない」としたが、遺書がないため、直接の原因だったかどうかは分からないと結論付けた。 報告書によると、いじめは2012年2月以降、塾や学級、部活動であった。 同級生らが「きもい」「死ね」といった悪口を言ったりしたほか、ゲームやプロレスのまねをして首を絞めたり、げんこつで腹をたたいたりした。 曳馬中校長は報告を受けて記者会見し「教職員が心中を事前に察知して救うことができなかったことをおわびしたい」と謝罪。 「いじめが生徒を孤立させ、追い詰めたと思う」と述べた。 父親(49)は2013年5月、同級生からのいじめが死亡につながったとして浜松中央署に被害届を提出した。 2014年1月15日、浜松中央署は暴力行為法違反(共同暴行)の疑いで同級生の男子(15)を静岡地検浜松支部に書類送検し、同法違反(同)や器物損壊の疑いで8人を浜松市児童相談所に送致した。 児童相談所は「8人の処分については答えられない」とした。 署は「関係者の聞き取りや証拠品の確認などで、事実が確認できるかを調べた。 集団による行為であることを重くとらえた」と説明。 ただ、片岡君の転落死を自殺とみるものの、立件した行為との因果関係は「分からない」との立場をとった。 容疑では、9人のうち4人は2012年4月に市内で片岡君をエアガンで撃ち、3人は同月に片岡君の自転車を蹴ったとされる。 1人は同1月に片岡君の筆箱をはさみで切り、二人は同6月に油性ペンで筆箱に落書きしたとされる。 署によると、書類送検された男子はエアガンと自転車の両方の行為に関わり、自転車を蹴ったとされる時は14歳だった。 ほかの8人は当時14歳未満のため刑事罰に問えない。 9人とも容疑を認めた。 曳馬中の石川和男校長は「警察の判断を重く受け止めている。 片岡君は学校で苦しい日々を過ごしていた。 私たちが早く気付けず、守れなかったことに深い責任がある」と話した。 父親(49)は「強制力のある警察の捜査で、新たな事実が出てくるのを期待したが、立件できたのは調査委の指摘の一部だけだった」と話した。 2014年3月31日、静岡地検浜松支部は、転落死の約2カ月前に片岡君の自転車を蹴ったとして、暴力行為法違反の疑いで、同級生だった少年(15)を静岡家裁浜松支部に送致した。 送致容疑は2012年4月、浜松市で、ほかの男子生徒と一緒に自転車を足で蹴るなどして暴行を加えた疑い。 家裁浜松支部は事件の内容や少年の性格などを調査し、少年審判を開始するかどうか決定する。 《訴訟》 片岡君の自殺は同級生からいじめを受けたことが原因の自殺だったとして、2013年に両親が浜松市と同級生ら11人に約6400万円の損害賠償を求めた訴訟の第6回口頭弁論が2015年3月2日、静岡地裁浜松支部で開かれた。 古谷健二郎裁判長が和解を勧告し、原告、被告が今後、和解条件などの協議を進めるとした。 弁論後の会見で原告側弁護士は市に対し、風化防止やいじめの再発防止策を求める方針を示した。 父親(50)は「行為の善悪を明確にし、学校や担任、加害生徒に完太の命の重みを永遠に背負わせたい」と述べた。 訴状によると、片岡君は2012年2月ごろから約4ヶ月間、クラスや卓球部の部活動、通っていた塾などで同級生ら約11人から悪口を言われ、殴られるなどのいじめを受け、自殺に追い込まれたとされる。 これまでの弁論で、原告側は学校がいじめの予防や制止を十分しなかったなどと主張。 学校側は注意義務違反を否認し、生徒側も自殺といじめの因果関係などを否定して請求棄却を求めていた。 訴訟は2016年1月25日、同級生らと浜松市が計495万円を支払うことなどで静岡地裁浜松支部(古谷健二郎裁判長)で和解した。 原告側代理人によると、和解条項には同級生がいじめを謝罪することや、浜松市が学校側の対応に遺憾の意を表し、いじめ防止と再発防止策を取ることなどが盛り込まれた。 両親は「校長や担任教諭らはいじめに気付かずに放置し、自殺後も原因の調査などを行わなかった」と主張していた。 父親(51)は記者会見で「和解は一つのけじめで、息子の霊前に報告したい。 いじめをした同級生らはやったことの責任を背負って生きていってほしい」と述べた。 浜松市の花井和徳教育長は25日、「亡くなった片岡君とご遺族にあらためて哀悼の意を表します」とのコメントを出した。

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浜松市立引佐南部中学校

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静岡県浜松市・市立曳馬中学校いじめ自殺 2012年6月12日午後4時35分ごろ、浜松市中区の10階建てマンションの管理人から、建物南側のコンクリート敷きの駐車場に男性が倒れていると110番があり、病院に運ばれたが死亡が確認された。 死亡したのはこのマンションに住む2年の片岡完太君(13)で、見つかった時は学校の体操着姿だった。 マンションの屋上に片岡君のものと見られる靴跡があったことなどから、転落死したとみられ、遺書はなかったが、飛び降り自殺した可能性もあるとみられた。 曳馬中学校の教頭によると、片岡君は12日は普段通り登校。 3、4時間目には外部からの講師を招いて命の大切さについて考える「命の教育講演会」に参加していた。 6時間目の授業までは出席したが、所属する卓球部の練習は休み、午後3時45分ごろ下校したという。 また同校では5月31日にいじめに関するアンケートを実施したが、片岡君はいじめられた経験もいじめた経験も「ない」と回答していたという。 《悪口、暴力、器物損壊などがあった》 2012年12月19日、浜松市教育委員会が設置した第三者による調査委員会は片岡君が「死亡前の約4カ月間、塾や学校で悪口を言われるなどのいじめを受けていた」と認定する報告書を公表した。 三者委は死亡時の状況から、片岡君は自殺したと判断した上で「背景にいじめがあったと言わざるを得ない」としたが、遺書がないため、直接の原因だったかどうかは分からないと結論付けた。 報告書によると、いじめは2012年2月以降、塾や学級、部活動であった。 同級生らが「きもい」「死ね」といった悪口を言ったりしたほか、ゲームやプロレスのまねをして首を絞めたり、げんこつで腹をたたいたりした。 曳馬中校長は報告を受けて記者会見し「教職員が心中を事前に察知して救うことができなかったことをおわびしたい」と謝罪。 「いじめが生徒を孤立させ、追い詰めたと思う」と述べた。 父親(49)は2013年5月、同級生からのいじめが死亡につながったとして浜松中央署に被害届を提出した。 2014年1月15日、浜松中央署は暴力行為法違反(共同暴行)の疑いで同級生の男子(15)を静岡地検浜松支部に書類送検し、同法違反(同)や器物損壊の疑いで8人を浜松市児童相談所に送致した。 児童相談所は「8人の処分については答えられない」とした。 署は「関係者の聞き取りや証拠品の確認などで、事実が確認できるかを調べた。 集団による行為であることを重くとらえた」と説明。 ただ、片岡君の転落死を自殺とみるものの、立件した行為との因果関係は「分からない」との立場をとった。 容疑では、9人のうち4人は2012年4月に市内で片岡君をエアガンで撃ち、3人は同月に片岡君の自転車を蹴ったとされる。 1人は同1月に片岡君の筆箱をはさみで切り、二人は同6月に油性ペンで筆箱に落書きしたとされる。 署によると、書類送検された男子はエアガンと自転車の両方の行為に関わり、自転車を蹴ったとされる時は14歳だった。 ほかの8人は当時14歳未満のため刑事罰に問えない。 9人とも容疑を認めた。 曳馬中の石川和男校長は「警察の判断を重く受け止めている。 片岡君は学校で苦しい日々を過ごしていた。 私たちが早く気付けず、守れなかったことに深い責任がある」と話した。 父親(49)は「強制力のある警察の捜査で、新たな事実が出てくるのを期待したが、立件できたのは調査委の指摘の一部だけだった」と話した。 2014年3月31日、静岡地検浜松支部は、転落死の約2カ月前に片岡君の自転車を蹴ったとして、暴力行為法違反の疑いで、同級生だった少年(15)を静岡家裁浜松支部に送致した。 送致容疑は2012年4月、浜松市で、ほかの男子生徒と一緒に自転車を足で蹴るなどして暴行を加えた疑い。 家裁浜松支部は事件の内容や少年の性格などを調査し、少年審判を開始するかどうか決定する。 《訴訟》 片岡君の自殺は同級生からいじめを受けたことが原因の自殺だったとして、2013年に両親が浜松市と同級生ら11人に約6400万円の損害賠償を求めた訴訟の第6回口頭弁論が2015年3月2日、静岡地裁浜松支部で開かれた。 古谷健二郎裁判長が和解を勧告し、原告、被告が今後、和解条件などの協議を進めるとした。 弁論後の会見で原告側弁護士は市に対し、風化防止やいじめの再発防止策を求める方針を示した。 父親(50)は「行為の善悪を明確にし、学校や担任、加害生徒に完太の命の重みを永遠に背負わせたい」と述べた。 訴状によると、片岡君は2012年2月ごろから約4ヶ月間、クラスや卓球部の部活動、通っていた塾などで同級生ら約11人から悪口を言われ、殴られるなどのいじめを受け、自殺に追い込まれたとされる。 これまでの弁論で、原告側は学校がいじめの予防や制止を十分しなかったなどと主張。 学校側は注意義務違反を否認し、生徒側も自殺といじめの因果関係などを否定して請求棄却を求めていた。 訴訟は2016年1月25日、同級生らと浜松市が計495万円を支払うことなどで静岡地裁浜松支部(古谷健二郎裁判長)で和解した。 原告側代理人によると、和解条項には同級生がいじめを謝罪することや、浜松市が学校側の対応に遺憾の意を表し、いじめ防止と再発防止策を取ることなどが盛り込まれた。 両親は「校長や担任教諭らはいじめに気付かずに放置し、自殺後も原因の調査などを行わなかった」と主張していた。 父親(51)は記者会見で「和解は一つのけじめで、息子の霊前に報告したい。 いじめをした同級生らはやったことの責任を背負って生きていってほしい」と述べた。 浜松市の花井和徳教育長は25日、「亡くなった片岡君とご遺族にあらためて哀悼の意を表します」とのコメントを出した。

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中学校 浜松市

静岡県中学校の廃校一覧(しずおかけんちゅうがっこうのはいこういちらん)は、内のになったの一覧。 対象となるのは、1947年に施行された以降に廃校となった中学校、およびである。 学校名は廃校当時のもの。 廃校時に中学校が所在していたがその後、により消滅している場合は、現行の自治体に含める。 また現在休校中の県内の中学校や分校も、事実上廃校となっているものが多いため、参考として本項に記載する。 なお、学制改革による年齢引き上げに伴い、は、ここには含めない。 ()内は、廃校になった年である。 静岡市 [ ]• 静岡市立北沼上中学校(1948年へ統合)• 静岡市立大谷中学校 (1949年久能中と統合しへ)• 静岡市立久能中学校(1949年大谷中と統合し高松中へ)• 静岡市立西豊田中学校(1949年東豊田中〈旧〉と統合しへ、学区の一部は高松中へ)• 静岡市立東豊田中学校〈旧〉(1949年西豊田中と統合し豊田中へ、その後1950年に)• 静岡市立千代田中学校(1953年城東中と統合しへ)• 静岡市立城東中学校(1953年千代田中と統合し東中へ)• 静岡市立賤機中中学校(1953年賤機南中と統合しへ)• 静岡市立賤機南中学校(1953年賤機中中と統合し賤機中へ)• 静岡市立麻機中学校(1958年へ統合)• 静岡市立南藁科中学校(1964年へ統合)• 静岡女子中学校(1967年)• 静岡市立賤機北中学校(1970年賤機中へ統合)• 静岡市立中藁科中学校峰山分校(1970年)• 静岡市立中藁科中学校(1974年清沢中と統合しへ)• 静岡市立清沢中学校(1974年中藁科中と統合し藁科中へ)• 静岡市立井川中学校(2016年静岡市立井川小学校と統合しへ)• (2010年休校)• 清水市立高部中学校(1958年飯田中と統合し〈当時:清水市立〉へ)• 清水市立飯田中学校(1958年高部中と統合し清水第六中となるも、1981年にとして再独立)• 清水市立両河内中学校中河内分校(1965年)• 清水市立両河内中学校西河内分校(1965年)• 玉川村立玉川中学校東分校(1959年)• 玉川村立玉川中学校西分校(1959年)• 大河内村立大河内中学校渡分校(1962年)• 大川村立大川中学校楢尾分校(1963年) 浜松市 [ ]• 浜松市立吉野中学校(1957年三方原中〈初代〉と統合しへ)• 浜松市立三方原中学校〈初代〉(1957年吉野中と統合し北星中となるも、1984年再独立)• 浜松市立佐久間中学校〈2代目〉(2007年浦川中と統合し〈3代目〉へ)• 浜松市立浦川中学校(2007年佐久間中〈2代目〉と統合し佐久間中〈3代目〉へ)• 浜松市立龍山中学校(2008年へ統合)• 和田村立和田中学校(1949年中ノ町中と統合し〈当時:和田村中ノ町村組合立〉へ)• 中ノ町村立中ノ町中学校(1949年和田中と統合し天竜中へ)• 龍山村立第一中学校(1950年第二中と統合し龍山中へ)• 龍山村立第二中学校(1950年第一中と統合し龍山中へ)• 竜池村立竜池中学校(1951年〈当時:北浜村立、竜池村が北浜村への併合に伴い〉へ統合)• 佐久間町立浦川第二中学校(1956年9月3日浦川第一中〈同年10月1日浦川中へ改称〉へ統合)• 佐久間町立山香中学校上平山分校(1958年)• 佐久間町立佐久間中学校〈初代〉(1961年城西中と統合し佐久間中〈2代目〉佐久間教場となり、1962年11月21日完全統合)• 佐久間町立城西中学校(1961年佐久間中〈初代〉と統合し佐久間中〈2代目〉城西教場となり、1962年11月21日完全統合)• 佐久間町立山香中学校(1986年佐久間中〈2代目〉へ統合)• 立伊佐美中学校(1959年和地中と統合し〈当時:湖東村立〉伊佐美教場となり、1961年3月28日新校舎に移転)• 湖東村立和地中学校(1959年伊佐美中と統合し湖東中和地教場となり、1960年6月3日新校舎に移転)• 天竜市立光明第一中学校(1961年光明第二中と統合し光明中へ)• 天竜市立光明第二中学校(1961年光明第二中と統合し光明中へ)• 天竜市立光明中学校(2005年竜川中と統合し光が丘中へ)• 天竜市立竜川中学校(2005年光明中と統合し光が丘中へ)• 天竜市立熊中学校(2005年統合により〈当時:天竜市立〉へ)• 天竜市立上阿多古中学校(同上)• 天竜市立下阿多古中学校(同上)• 天竜市立二俣中学校(同上)• 浜北市立中瀬中学校(1961年赤佐中と統合し浜北市立北部中学校〈現:〉中瀬教場となり、1962年10月21日新校舎に移転)• 浜北市立赤佐中学校(1961年中瀬中と統合し北部中赤佐教場となり、1962年12月21日新校舎に移転)• 水窪町立水窪中学校西浦分校(1961年)• 水窪町立水窪中学校大地分校(1961年)• 水窪町立水窪中学校渡元分校(1970年)• 水窪町立門桁中学校(1971年〈当時:水窪町立〉へ統合)• 細江町立気賀中学校(1969年中川中と統合し〈当時:細江町立〉へ)• 細江町立中川中学校(1969年気賀中と統合し細江中へ)• 引佐町立引佐中学校(1971年統合により〈当時:引佐町立〉引佐教場となり、1972年9月完全統合)• 引佐町立奥山中学校(1971年引佐南部中奥山教場となり、1972年9月完全統合)• 引佐町立伊平中学校(1971年引佐南部中伊平教場となり、1972年9月完全統合)• 春野町立北中学校(1973年気多中へ統合)• 春野町立春野南中学校(2005年統合により〈当時:春野町立〉へ)• 春野町立春野東中学校(同上)• 春野町立気多中学校(同上) 沼津市 [ ]• 沼津市立内浦中学校(1981年西浦中と統合しへ)• 沼津市立西浦中学校(1981年内浦中と統合し長井崎中へ) 熱海市 [ ]• 熱海市立網代中学校(2006年へ統合)• 熱海市立熱海中学校〈旧〉(2014年小嵐中と統合し〈新〉へ)• 熱海市立小嵐中学校(2014年熱海中〈旧〉と統合し熱海中〈新〉へ) 三島市 [ ]• 三島市立東中学校(1972年坂中と統合しへ)• 三島市立坂中学校(1972年東中と統合し錦田中へ) 富士宮市 [ ]• 富士宮市立上井出中学校(1966年白糸中と統合し上井出中教場となり、同年9月1日廃止)• 富士宮市立白糸中学校(1966年上井出中と統合し西富士中白糸教場となり、同年9月1日廃止)• 芝川町立芝富中学校(1964年統合により〈当時:芝川町立〉へ)• 芝川町立内房中学校(同上)• 芝川町立稲子中学校(同上) 伊東市 [ ]• 伊東市立対島中学校富戸分校(1966年) 島田市 [ ]• 島田女子高等学校併設中学校(1957年)• 島田市立島田第二中学校〈旧〉(1958年大津中と統合し〈新〉南校となり、1959年完全統合)• 島田市立大津中学校(1958年島田第二中〈旧〉と統合し島田第二中〈新〉北校となり、1959年完全統合)• 島田市立伊久美中学校(1985年大長中と統合しへ)• 島田市立大長中学校(1985年伊久美中と統合し北中へ)• 川根町立身成中学校(1957年〈当時:川根町立〉へ統合)• 金谷町立五和中学校(1977年〈当時:金谷町立〉へ統合)• 川根町立笹間中学校(2007年川根中へ統合) 富士市 [ ]• 吉原市立穆清中学校(1960年原田中と統合し吉原市立第三中学校〈現:〉へ)• 吉原市立原田中学校(1960年穆清中と統合し第三中へ) 磐田市 [ ]• 向笠村立向笠中学校(1948年大藤中と統合し〈当時:向笠村大藤村組合立〉へ)• 大藤村立大藤中学校(1948年向笠中と統合し向陽中へ)• 敷地村立敷地中学校(1961年統合により〈当時:豊岡村立〉へ)• 広瀬村立広瀬中学校(同上)• 野部村立野部中学校(同上) 焼津市 [ ]• 焼津高等学校併設中学校(1968年)• 大井川町立大井川東中学校(1958年統合により〈当時:大井川町立〉へ)• 大井川町立大井川西中学校(同上)• 大井川町立大井川南中学校(同上) 掛川市 [ ]• 掛川市立日東中学校(1955年東山口中と統合しへ)• 掛川市立東山口中学校(1955年日東中と統合し栄川中へ)• 掛川市立原泉中学校(1960年統合によりへ)• 掛川市立原田中学校(同上)• 掛川市立原谷中学校(同上)• 大淵村立大淵中学校(1950年〈当時:横須賀町立〉へ統合)• 土方村立土方中学校(1950年佐束中と統合し〈当時:土方村佐束村組合立〉土方分校となり、1951年新校舎へ移転)• 佐束村立佐束中学校(1950年土方中と統合し城東中佐束分校となり、1951年新校舎へ移転)• 大浜町立睦浜中学校(1962年城南中と統合し〈当時:大浜町立〉へ)• 大浜町立城南中学校(1962年睦浜中と統合し大浜中へ) 藤枝市 [ ]• 藤枝市立瀬戸谷第一中学校(1956年瀬戸谷第二中と統合しへ)• 藤枝市立瀬戸谷第二中学校(1956年瀬戸谷第一中と統合し瀬戸谷中へ)• 藤枝市立稲葉中学校(1960年へ統合)• 岡部町立岡部中学校〈旧〉(1980年朝比奈中と統合し〈当時:岡部町立〉へ)• 岡部町立朝比奈中学校(1980年岡部中〈旧〉と統合し岡部中〈新〉へ) 御殿場市 [ ]• 御殿場市立玉穂中学校(1961年印野中と統合しへ)• 御殿場市立印野中学校(1961年玉穂中と統合し西中へ)• 御殿場市立富士岡中学校駿河分校(1962年休校、1997年廃校 ) 袋井市 [ ]• 久努村立刮目中学校(1949年5月20日〈当時:袋井町久努村組合立〉へ統合)• 山梨町立山梨中学校(1950年宇刈中と統合し〈当時:山梨町・袋井町組合立〉へ)• 宇刈村立宇刈中学校(1950年山梨中と統合し周南中へ)• 浅羽町立浅羽中学校〈旧〉(1966年笠原中と統合し〈当時:組合立〉へ)• 笠原村立笠原中学校(1966年浅羽中〈旧〉と統合し浅羽中〈新〉へ) 下田市 [ ]• 下田町立朝日中学校(1958年〈当時:下田町立〉へ統合)• 下田町立浜崎中学校(1966年白浜中と統合し〈当時:下田町立〉へ)• 下田町立白浜中学校(1966年浜崎中と統合し下田東中へ) 湖西市 [ ]• 知波田村立知波田中学校(1950年統合により〈当時:知波田村・入出村・新所村組合立〉へ)• 入出村立入出中学校(同上)• 新所村立新所中学校(同上) 伊豆市 [ ]• 修善寺町立東中学校(1960年〈当時:修善寺町立〉へ統合)• 修善寺町立南中学校(同上)• 土肥町立西豆中学校(1960年〈当時:土肥町立〉へ統合)• 土肥町立土肥中学校小下田分校(1960年西豆中から移管、1969年廃校)• 天城湯ヶ島町立天城中学校〈旧〉(1971年狩野中と統合し〈当時:天城湯ヶ島町立〉へ)• 天城湯ヶ島町立狩野中学校(1971年天城中〈旧〉と統合し天城中〈新〉へ) 御前崎市 [ ]• 浜岡町立浜岡中学校〈旧〉(1958年統合により〈当時:浜岡町立〉へ)• 浜岡町立浜岡東中学校(同上)• 浜岡町立浜岡北中学校(同上)• 御前崎町立御前崎中学校〈旧〉(1970年白羽中・相良町立地頭方中と統合し〈当時:御前崎町相良町学校組合立〉へ)• 御前崎町立白羽中学校(1970年御前崎中〈旧〉・地頭方中と統合し御前崎中〈新〉へ) 菊川市 [ ]• 堀之内町立堀之内中学校(1950年六郷中と統合し立菊水北中へ)• 六郷村立六郷中学校(1950年堀之内中と統合し菊水北中へ)• 加茂村立加茂中学校(1950年統合により堀之内町外四ヶ村組合立菊水南中へ)• 内田村立内田中学校(同上)• 横地村立横地中学校(同上)• 菊川町立菊川北中学校(1961年菊川南中と統合し菊川中〈現:〉へ)• 菊川町立菊川南中学校(1961年菊川北中と統合し菊川中へ) 伊豆の国市 [ ]• 江間村立江間中学校(1954年伊豆長岡町立伊豆長岡中学校〈現:〉へ統合)• 大仁町立大仁東中学校(1961年〈当時:大仁町立〉へ統合) 牧之原市 [ ]• 相良町立管山中学校(1955年萩間中へ統合)• 相良町立地頭方中学校(1970年御前崎町立御前崎中・白羽中と統合し学校組合立御前崎中へ)• 相良町立相良中学校〈旧〉(1974年萩間中と統合し〈当時:相良町立〉へ)• 相良町立萩間中学校(1974年相良中〈旧〉と統合し相良中〈新〉へ)• 榛原町立川崎中学校(1971年統合により〈当時:榛原町立〉へ)• 榛原町立勝間田中学校(同上)• 榛原町立坂部中学校(同上) 賀茂郡 [ ]• 南伊豆町立南崎中学校(1970年竹麻中と統合しへ)• 南伊豆町立竹麻中学校(1970年南崎中と統合し東中へ)• 南伊豆町立三坂中学校(1971年南中中と統合しへ)• 南伊豆町立南中中学校(1971年三坂中と統合し南伊豆中へ)• 松崎町立松崎中学校〈旧〉(1969年統合により〈新〉へ)• 松崎町立中川中学校(同上)• 松崎町立岩科中学校(同上) 駿東郡 [ ]• 足柄村立足柄中学校(1955年〈足柄村が小山町へ併合に伴い〉へ統合) 榛原郡 [ ]• 吉田町立吉田北中学校(1962年吉田南中と統合しへ)• 吉田町立吉田南中学校(1962年吉田北中と統合し吉田中へ)• 上川根村立上川根中学校(1950年東川根中と統合し上川根村東川根村学校組合立大井中学校〈現:〉へ)• 東川根村立東川根中学校(1950年上川根中と統合し大井中へ)• 本川根町立本川根中学校大間分校(1959年)• 中川根町立徳山中学校(1963年〈当時:中川根町立〉へ統合)• 中川根町立徳山中学校地名分校(同上) 周智郡 [ ]• 森町立三倉中学校(1962年天方中と統合しへ)• 森町立天方中学校(1962年三倉中と統合し泉陽中へ)• 森町立天方中学校吉川分校(1962年)• 森町立泉陽中学校(2020年へ統合) 脚注 [ ] [] 出典 [ ].

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